直近の講義で、リバタリアンの視点から日本のエネルギー問題を議論した。東電を存続させた状態でエネルギー政策を進めるのか、それとも解体させ、新たな枠組みで立て直すのか。原発に関する賠償は東電がすべきなのか、国がすべきなのか。この議論は後期も取り扱うとのことだったが、状況が日々変化する問題である為、現在までの状況から考察してみたい。 リバタリアンの視点でのエネルギー政策は、個人に自由な電力源を選択できる権利を与えるために、アメリカやヨーロッパで進む送発電分離を実施することである。そしてそれを実行する為にも、東電をはじめとした電力会社を解体し、多くの企業が発電を行うべきである、と主張する。この主張には、二つの根拠がある。第一に、電力供給源を多様化することで国民が電力源を自由に選択できることができる。また多様化は将来の発電における技術革新を促す可能性が高い。次に多くの企業参入によって、競争が生まれ電気代が安価になる。その一方で、この主張には次のような批判が考えられる。まず新規参入した会社の安全性である。事業規模が小さければ、当然発電所での事故のリスクは高まり、多くの住民に被害が及ぶ。またそれと関連して、安定した供給が可能かどうかも疑問である。事実、2003年に北アメリカで大停電が起こった原因の一つが送発電分離政策であった。そして企業による競争は、環境に配慮したエネルギーよりも配慮を欠いた安価なエネルギーによる発電を多く生み出してしまう。これでは第二の福島第一原発を生み出しかねない。 ではどうすればいいのか。上記の意見を考慮して、既存体制を政府側から構造変化させるべきと考える。つまり電力会社という形体は残しつつ、新たな仕組みによる運営体制を目指すべきである。具体的には、各電力会社は送発電分離を進める。その際、各管轄地域の電力方法、電力量を可能な限り均質化せず、地方の地理的特性を活かして電力源の差別化を図る。そしてこれら発電されたエネルギーを選ぶのは、個人ではなく各市区町村単位の住民投票による。つまり電力会社の経営に住民の意見を反映させる。この体制によって、電力会社は多くの市区町村に受け入れられる為、各電力源の技術革新や体質改善を頻繁に行わなければならない。また市区町村単位で電力源選択が出来る点から、企業の積極的誘致といった地域活性化の可能性を拡げることになる。つまり日本の社会問題となっている過疎化の解決にも繋がる。したがって各電力会社は半私営、半公営の特殊な組織として国民が監視下に置くという体制である。 今回の福島第一原発の事故は、日本の電力会社の伝統的な放漫経営の実態を明るみにし、政府のエネルギー政策が時代遅れであったことを証明した。この点から東電をはじめとした電力会社は解体されるべきだ、という議論は日に日に加熱している。しかし既存体制の解体はすなわちエネルギー問題の解決につながらない。将来世代である我々学生がもっと議論を交わし、社会に訴えていくべきである。ぜひこの意見の感想、反論を頂きたい。" |