友愛公共フォーラム
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白熱掲示板(公共哲学Ⅰ・Ⅱ)2010

コミュニタリアニズムについて

2011/02/08 17:49 に センター公共哲学 が投稿

私は、小林先生が支持されるコミュニタリアニズムの思想を、
公共哲学の授業を通じて初めて知り、興味を持ちました。そこで、さらに理解を
深めるため、コミュニタリアニズムについて疑問点を述べてみたいと思います。

①なぜ、「目的」を考えることが「善き生」につながるのか?
 コミュニティ内の人々の幸福につながるからか?
 それとも、「目的」という規範を定義することに意義があるのか?
 
②「目的」を定めることは、レッテル張りでは?
 ある物は「~のために存在する」、ある人は「~のために生まれてきた」、
 と決めてしまうことは、その物の新たな使用法・その人の潜在的な可能性を
 阻害する結果をもたらすのではないか?
 
③「目的」を定めるのは誰か?
 コミュニティ内の多数決か、啓蒙家・聖職者のような「徳の高い者」か?
 それとも、カントの定言命法のように、普遍的に定まっているのか?
 
④異なるコミュニティ同士で、決定的な意見の対立があった場合、
 どのように行動することが「善」なのか?
 例えば、キリスト教徒とイスラム教徒で、教義上の対立は歴史上繰り返されてきた
 (十字軍、レコンキスタ、ビザンツ帝国滅亡など)し、現在のドイツでは、ドイツ社会に
 同化しないトルコ人コミュニティが形成され、人種同士の対立が起こってきている。
 文化的・宗教的な意見の対立する局面では、互いの主張を認めあい、ある種の「譲歩」
 をすることが「善」なのか?
 
⑤宗教上の教義は、どのような内容であっても「善」なのか?
 コミュニタリアニズムの立場では、あるコミュニティの思想・文化を尊重するので、
 例えばカルト宗教の教義でも、「善」として許容されてしまうのだろうか?
 それとも、「正しい宗教」と「悪しき宗教(邪教)」という区別がありうるのか?


匿名希望

尖閣動画流出問題について

2011/02/08 17:45 に センター公共哲学 が投稿

私は保安官の行動は不正義だと考えます。
国がしっかりとした手続きを踏んで公開したなら、国民にとっては情報を得るという利益を享受することができるので正義となります。
しかし、今回の場合、保安官が流出させたことによって、日本は情報管理ができない国と外国から見られてしまい、日本の情報管理に関する信頼を失ってしまいました。信頼は簡単に手に入れられるものではないのでこの損害は大きいと思います。
保安官は国民のためにと、正義のつもりで行動したかもしれませんが、結果的に国益を損ねてしまったので、不正義であったと考えます。

匿名希望

公共哲学Ⅱ 講義感想

2011/02/08 17:43 に センター公共哲学 が投稿

 千葉大学での講義を受講し、改めてサンデル教授の講義を見てみると、なかなかハーバードのように議論をすることは難しいなと感じました。とりわけ、議論が進むにつれて自分の立場と事案の立場の矛盾を解決することができず、うまく話せないことが多かったように思います。他の先生の哲学に関する講義を受けてから議論に参加すれば、あるいは、基本書をあらかじめ読んでおけばより深い話ができたのではないかと思います。

ハンドルネーム RM

エジプトのデモについて

2011/02/07 18:29 に センター公共哲学 が投稿

エジプトの反政府デモの講義の中で、無政府状態では自らの財産を略奪される
可能性があり、それを防ぐために政府があるのなら、専制政府でも良いという
考えがありました。
エジプト大統領は任期が6年と決まっていても、事実上の終身制が慣例に
なっているそうです。30年もの長期にわたって政権を維持してきたということは、
それだけ良い政治を行ってきたということだと思います。
専制政治と独裁政治は多少違うとは思いますが、独裁政治でも人々の貧富の差が
極端になければ(エジプトでは高い失業率が問題になっていたようですが)、
正義にかなった政治ができるということではないでしょうか。

ハンドルネーム:FK

公共哲学Ⅱ 講義感想

2011/02/07 18:27 に センター公共哲学 が投稿

この講義を受けるようになり、新聞などのニュースも公共哲学的な観点から見るようになっていますが、私は経済学科に在籍していることから、よく目に入るニュースというものも経済のものが多いです。そこに面白い事例が1つありました。

 

現在TPPへの加盟の賛否が論議されていますが、各省庁のTPPに加入した場合の試算が農林水産省はマイナスであり、経済産業省はプラスの効果があると公表しているそうです。

私 はこの事実から利益・幸福を算定する際には自己を有利にするためのバイアスがかかる可能性があるものであるということを実態をもって知り、功利主義は算定 式の難しさ、不確実性(リスク)が常に付きまとうものだとわかり、これは経営学にも言えることではないかと思いました。

 

この公共哲学Ⅱを通じて感じたことの1つに、この公共哲学という分野と経営学というものが、学問としては違った分野にあるにもかかわらず、多くの点で似通っている、共通していると感じました。そういったわけで私にとってもこの公共哲学は身近に感じられるものでありました。

ハンドルネーム JJ

エジプトで行われている反政府デモは正義か?

2011/02/07 18:25 に センター公共哲学 が投稿

抵抗権、革命権はいかなる場合も認められるべきで、然るべき民主化のプロセスだという意見や、暴力に訴える運動は不正義だと言う意見、周囲のコミュニティをも脅かすと懸念する意見、様々ありましたが、
個人的には、すごく曖昧な立場で、この反政府デモの結果、事実上の無政府状態になっているので正義とは言い切れないと思い、その旨の発言もしました。
先生が仰ったように、そもそも社会契約は、無政府状態を避けるために生まれた思想であり、また、社会契約説において、「暴君への抵抗権」と「対アナーキー」の考え方は2つの柱のように思います。

民衆の力は時にものすごく大きくなるので、抵抗権を美化しすぎても危険だと思います。
それに今はムバラク追放でまとまっていますが、それが達成したらまたしばらく混乱が続きそうですし、強国に介入されて暫定政府とか作られたとしても、あまり良い予感がしません。
一番いい民主化のプロセスとは何だろうと思いました。
民主化勢力が十分に育ってから、政府側と交渉と妥協が上手くいくような、穏健的、漸進的なものでしょうか。
しかし独裁政権下では難しそうで、非現実的かもしれません。


少し話はずれますが、この授業を通して感じたことを付け足したいと思います。
この授業では、善や美徳といった普遍的な価値観に主張の由来をおく、第3の立場について、とても新鮮に学べたと思います。
「正義か、不正義か」と議論するにあたり、道徳の壁に突き当たることがありました。どう理由をつけたくても、「正しい」とは言えないものがありました。
しかし同時に疑問もわきました。「善」や「美徳」「道徳」と言った言葉は、本当に根拠になりうるのでしょうか。
私がそう考えたのは、それらの言葉を正面から否定できる人がなかなかいないからです。
善、道徳を掲げることは、ときに誰も対抗できない、チートになってしまうかもしれないと思いました。

ハンドルネーム:NS

「白熱教室in Japan」と公共哲学Ⅱの 感想

2011/02/07 18:23 に センター公共哲学 が投稿

 夏の白熱教室InJapanに参加しました。学校の講義では「白熱教室が今大反響を呼んでいる」とは聞くものの、私の周りの友達はそれを知らないし、本 当にそうなのかと疑問を持っていました。しかし講義が進むうちにブームなどに関係なくjusticeの内容に夢中になってしまい、サンデル教授の来日講義 に是非参加したいと思うようになりました。
 会場である東大の安田講堂に入った瞬間、この学問の爆発的ブームは本当なのだということを実感し、ワクワクしてきました。来日講演はお馴染みの内容から イチローとオバマの報酬の話など、深く議論すればするほど面白い展開で、あの「白熱」は今でも忘れません。発言者の堂々とした態度(流暢な英語での質問が 多くてびっくりでした)は学生として見習いたいです。
講義最後のスタンディングオーベーション、そして通路側に座っていた私は、その通路を歩いて退場されるサンデル教授に光栄にも握手していただきました。
 それから新聞やニュースで取り上げられるこのことを目にした時、このブーム(決してブームで終わってほしくはありませんが)に最初から夢中になることが 出来てとてもうれしいと思いました。日常から関連の本を読むことも増え、私の大学での知的好奇心が高まってくるのを実感できました。
 それから私は引き続き?も受講することにし、このブームのまさにこの時期に、小林先生の講義を受けることが嬉しかったです。次はどんな議題になるのだろ うか、どんな議論が展開されるんだろうか、○○さんはいつもあんな立場での意見が多いから、こう言うことを言うかな…と、ますます自分の中での「白熱」を 感じました。最近では千葉大の講義の放映もあったことで、家族や多くの友達も興味を持ち始めたようです。
 小林先生の「サンデルの政治哲学」は、4月から1年間講義に参加した生徒として体験した流れをしっかりと見直すことが出来、その時に分からなかったこと が今になって理解できたりもしました。ロールズの正義論やリベラリズムに対するサンデルの批判についても、この本によって理解が深まりました。
 これで一年間の履修した講義が終わってしまうのが何だか寂しいです。日常のニュースの中に、何が道徳的に正義か不正義かを、私たちは常に考えていかなけ ればならないと学びました。これからも対話型授業があれば是非参加したいです。それまでに自分の意見にもっとしっかりとした哲学的根拠も考えられるように したいです。一緒に議論したみなさん、小林先生、本当にありがとうございました。


後期 公共哲学講義の感想

2011/02/07 18:22 に センター公共哲学 が投稿

 ある問題に対する自分の意見をもち、その立場から意見を述べて、反論を考えるという作業を90分の講義の間中行うのは大変だったが、今までの講義の中で 一番集中して参加することができた。手を挙げてどちらかの立場に別れるときは感情によって決めてしまうので、自分がなぜその立場に立ったのかを論理的に説 明することが難しかった。普段から感情に任せて物事を決めているのだと実感し、今後は頭を使う機会を増やさなければならないと反省した。また、たとえ感情 的な意見であっても、「人道的理由」や「モラル」といった言葉を使うことで論理的な印象になることもあり、議論をするには言葉の選択も重要だと感じた。
 取り越し苦労に終わったが、講義中はとりあえず自分の意見を言うだけで精いっぱいだったため、反論されたらどうしようかとハラハラしていた。

ハンドルネーム:ぼうず

革命は正義か

2011/02/07 18:21 に センター公共哲学 が投稿   [ 2011/02/08 17:48 に更新しました ]

革命のことを正義かどうかと言えることについてのですが、私はやはり、革命というものは正義ではないと思います。なぜならば、多くの革命の後は最終的に新 政府が樹立しても、それまでの過程の中で暴力、社会的・経済的混乱などが起こるからです。一方で、それは、例えば今までの独裁的政府を倒し、正義を実現出 来るような新しい政府の樹立のための不可避の手段だとしても、他方では、そういった、いわゆる「新政府」は果たして、革命を起こした民衆が期待するような 正義を実現するかどうかは疑問に思われます。今までの歴史の中で、革命後に樹立された新政府は、実に正義を行うような例がほとんどみられないのではないで しょうか。むしろ、革命という、かなり極端的な手段を使って樹立した多くの政府が、中央集権化
し、ナチドイツやソ連などのように、正義を実現するどころか、民衆の自由を奪ったり、特殊な思想や考え方を普及させることで自分たちにとって都合のいい国家を築くことが多かったのではないでしょうか。
要するに、不正義的政府を倒そうという国民の怒りが上手に利用されることで、不正義的政府が再び樹立するという考え方です。もちろん、上記のソ連やナチド イツの例のように、革命が起きた国は必ずしも全体主義国家になるわけではありません。だが、暴力や混乱という不正義なことを起こしたことで、民衆が望んで いるような正義が実現するとは限りません。

ハンドルネーム:さな

講義感想

2011/02/07 17:59 に センター公共哲学 が投稿

後期の授業はNHKなどの収録があり、前期よりもますます活発な議論が行われていたと思いました。
また、議題が日本の身近なものになったことによってより考える機会が増えたのではないかとも思いました。
特にひかりごけの件についてはやはりたくさんの意見が出ていました。
カニバリズムについては自分もどちらが正しいかはわからないし、実際そこでどんな過酷な状況だったか想像もつかなく、なかなか意見がまとまりませんでした。
ただ、この授業を受講していろいろなことについて考えようという姿勢が身についてよかったと思いました。

ハンドルネーム:千葉大学

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