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コミュニタリアニズムについて

2011/02/08 17:49 に センター公共哲学 が投稿
私は、小林先生が支持されるコミュニタリアニズムの思想を、
公共哲学の授業を通じて初めて知り、興味を持ちました。そこで、さらに理解を
深めるため、コミュニタリアニズムについて疑問点を述べてみたいと思います。

①なぜ、「目的」を考えることが「善き生」につながるのか?
 コミュニティ内の人々の幸福につながるからか?
 それとも、「目的」という規範を定義することに意義があるのか?
 
②「目的」を定めることは、レッテル張りでは?
 ある物は「~のために存在する」、ある人は「~のために生まれてきた」、
 と決めてしまうことは、その物の新たな使用法・その人の潜在的な可能性を
 阻害する結果をもたらすのではないか?
 
③「目的」を定めるのは誰か?
 コミュニティ内の多数決か、啓蒙家・聖職者のような「徳の高い者」か?
 それとも、カントの定言命法のように、普遍的に定まっているのか?
 
④異なるコミュニティ同士で、決定的な意見の対立があった場合、
 どのように行動することが「善」なのか?
 例えば、キリスト教徒とイスラム教徒で、教義上の対立は歴史上繰り返されてきた
 (十字軍、レコンキスタ、ビザンツ帝国滅亡など)し、現在のドイツでは、ドイツ社会に
 同化しないトルコ人コミュニティが形成され、人種同士の対立が起こってきている。
 文化的・宗教的な意見の対立する局面では、互いの主張を認めあい、ある種の「譲歩」
 をすることが「善」なのか?
 
⑤宗教上の教義は、どのような内容であっても「善」なのか?
 コミュニタリアニズムの立場では、あるコミュニティの思想・文化を尊重するので、
 例えばカルト宗教の教義でも、「善」として許容されてしまうのだろうか?
 それとも、「正しい宗教」と「悪しき宗教(邪教)」という区別がありうるのか?


匿名希望