私は、小林先生が支持されるコミュニタリアニズムの思想を、
公共哲学の授業を通じて初めて知り、興味を持ちました。そこで、さらに理解を
深めるため、コミュニタリアニズムについて疑問点を述べてみたいと思います。①なぜ、「目的」を考えることが「善き生」につながるのか?
コミュニティ内の人々の幸福につながるからか?
それとも、「目的」という規範を定義することに意義があるのか?
②「目的」を定めることは、レッテル張りでは?
ある物は「~のために存在する」、ある人は「~のために生まれてきた」、
と決めてしまうことは、その物の新たな使用法・その人の潜在的な可能性を
阻害する結果をもたらすのではないか?
③「目的」を定めるのは誰か?
コミュニティ内の多数決か、啓蒙家・聖職者のような「徳の高い者」か?
それとも、カントの定言命法のように、普遍的に定まっているのか?
④異なるコミュニティ同士で、決定的な意見の対立があった場合、
どのように行動することが「善」なのか?
例えば、キリスト教徒とイスラム教徒で、教義上の対立は歴史上繰り返されてきた
(十字軍、レコンキスタ、ビザンツ帝国滅亡など)し、現在のドイツでは、ドイツ社会に
同化しないトルコ人コミュニティが形成され、人種同士の対立が起こってきている。
文化的・宗教的な意見の対立する局面では、互いの主張を認めあい、ある種の「譲歩」
をすることが「善」なのか?
⑤宗教上の教義は、どのような内容であっても「善」なのか?
コミュニタリアニズムの立場では、あるコミュニティの思想・文化を尊重するので、
例えばカルト宗教の教義でも、「善」として許容されてしまうのだろうか?
それとも、「正しい宗教」と「悪しき宗教(邪教)」という区別がありうるのか? 匿名希望 |